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2024.03.29 |

国民性1

リュウ ケイトウ
(5月26日提出)
コウ リヒン
テイ トウ
(5月28日提出)
ゴ ギョウカ
シュ レイレイ
リ キチ
(5月29日提出)


■中国人の国民性について
 古代中国の哲人に、孔孟、老荘といった人たちがいる。昔から、中国人の根本思想といわれる儒教、道教を説いた人たちである。その荘子に「愚かなるが故に道あり」という言葉がある。愚かは、人間の賢い知識が働いていないため、本当の道に合致するという意味である。

 まず、中国人は命じられない限り、自ら並んで順番を待つという意識を持っていない。知識人でさえそうなのだ。さらに、中国人は公共の指示に従う気が全くないと感じられる。一方、中国人が最も好むのは、「食べる」ことである。人間関係も「一緒に食べる」機会が多いほど親しくなる。

 これらを総合すると、「愚か」というほかないのだ。つまり、荘子の言うように、中国は「愚かであるからこそ、道もある」ということになるのかもしれない。


■私の国の国民性
 中国人は自分の考えを表さず、中庸を保つことが多いと西方人にいわれている。また、他人に従って仕事をすることを好むとも考えられている。

 よく考えてみると、それは全然違う。中国人は自分の発想をめったに出さないどころか、他人と違う意見を言う場合も多い。「私はこう思います。」、「君の観点に賛成できません。」等と、中国人はよく言うのではないだろうか。また、会社では社員はそれぞれの意見や企画を言い、社長に採用してほしい。そして、人々は優れたリーダーになりたがっている。ある実験によると、中国人の表現力は強すぎるそうだ。

 だがもし、いつも黙ったままで自分の考えを表さなければ、人々と交流するのは難しくなるだろう。中国人はよく自らの思いを表すからこそ、外の人に理解してもらえると思う。


■中国人の国民性
 中国は人口大国と呼ばれている。国地も960万平方メートルある。56つの民族によって構成されている中国人の性格は、それぞれ大きな区別がある。例えば、東北地方の人は豪放でさっぱりしているが、江南は優しく素直である。そのために、国民性を説明するのはとても難しい。私の見方も狭い。

 しかしあえて言うと、中国人は盲目的な人だと思う。教育や経験などのゆえに、人々の判断力がよくない。いつも情報とニュースがよく流れず、市場経済もまだ十分に発達していない。一言で言えば皆は視野が狭い。

 また、中国人は盲従しすぎている。例えば、株式市場が盛んだった時、3億人も入社した。そのため、どこに行ってもビジネスマンが多く、皆がビジネスマンといえる。判断力が失われるので、皆が何をしているかよく分からずに、自分も付いていく。


■中国人の国民性
 中国人は多くの人の行動について行くことが好きだと考えられている。その原因は中国人の意志が弱いからだと思う。

 いつものように、道を歩く時、何か起こったら、すぐたくさんの人が集まり、首を伸ばして見ることがある。また、デパートで買い物をする時、自分がいらないものであっても、多くの人が買うと自分もつい買ってしまうことがある。こういうことがあちこちで見える。

 この国民性は良いかどうかまだ分からないけれども、自分の考えもなく、一方的に他人の行動について行くことが良くないと言われる。しかし、自分一人で全部のことを決めることも良くないと言われる。他人の行動についていく前、これが良いかどうか自分で考えることは正しいと思う。


■わが国の国民性
 中国人は親が子供を可愛がりすぎるといわれている。なぜなら、今一人っ子の家庭が多いからだ。

 子供は親に可愛がられ過ぎるために、家事がほとんどできない。例えば、親がいない時、簡単な料理さえ作れないので、お腹が空いたまま、母親を待つ。あるいは、外でファーストフードを買って食べる。また、学生は学校に住まなければならない時、自分で服を洗わず、週末になると、たまった汚い服を家に持ち帰り、親に洗わせることも多い。よって、家で子供たちはいつも「坊ちゃん」、「お嬢さん」と呼ばれる。

 可愛がられて育ったため、子供たちはすぐ人に甘えることばかり考える人になりやすい。それは本当に子供たちにはよくない。親は子供を可愛がるのは当然だが、少なくとも子供に自分のことをやらせよう。


■中国人の謙遜
 中国人はよく謙遜すると言われている。人から褒められた時、よく自分を低め、自分がそれ程にすばらしくないと言う。

 それは本当だ。中国人が儒家思想の影響を深く受けているために、よく自分の才能や持っているものを低める。例えば、人が自分の家を訪ねる時、「あなたのいらっしゃるのは、私のあばら屋を輝かしくします。」等とよく言う。自宅がどれ程に立派でも、あばら屋と言う。それは中国人の謙遜の表現である。

 昔から、謙遜は中国人の伝統的な美徳だと考えられている。自分の今まで持っている才能や知識に満足しないで、謙遜の態度で続けて頑張れるのはいいと思う。しかし、今の激しい競争社会においては、謙遜し過ぎれば、自分の才能は認められない。いいチャンスを逃すかもしれない。謙遜もいいと思うが、ある時は、我々は謙遜せず、自分の長所を表わすべきだ。

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2008.05.27 | Comments(0) | 国民性

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